青木葉子
出身地 京都府八幡市
居住地 京都府八幡市(居住歴:大阪府門真市・京都市東山区・京都市伏見区)
生年月日 昭和49年2月18日
血液型 B型
略歴
京都府立八幡高校卒(1992年)
龍谷大学社会学部社会学科卒(1996年)
仏眼鍼灸理療学校本科卒(2007年)
大学卒後婦人服販売小売店「玉屋」8年勤務 (心斎橋、天王寺)、
京都市内外資系ホテルのスパ・マッサージ部門に勤務、
京都市山科区を中心に訪問マッサージの治療所に勤務
(障害・高齢者リハビリマッサージを担当)
2012年10月治療院じゅいんを開院
資格
あん摩マッサージ指圧師
(国家資格免許登録番号:第127383号)
鍼師(国家資格免許登録番号:第137338号)
灸師(国家資格免許登録番号:第137155号)
医王会 経絡指圧普及所 全過程終了
パーフェクト整体 整体塾 修了
臨床伝統医療研究会 修了
KDA認定・KDセラピスト
HS操体協会認定・Hypno Sotaiセラピスト
ABH(アメリカの心理セラピー協会)
認定マスターヒプノティスト
免疫医学研究会 修了
免疫・がん専門医療機関
田町アイシークリニック提携治療院
講師歴
2014.1月 関西治療家勉強会 ゲスト講師
2014.10月 関西治療家勉強会 ゲスト講師
2015.11月 KDセラピー勉強会 ゲスト講師
2016.5月 免疫医学研究会 ゲスト講師
講師活動1
不定期 治療院じゅいん健康教室 主催
じゅいん健康教室20160115
家族構成
父、母、弟、娘、私の5人家族です。
好きな楽器
ピアノ、クラッシックギター、アコースティックギター、チェロ、バイオリン、ニッケルハルパ(聴く方専門です)、マンドリン(大学時代はマンドリンオーケストラ・ギターパートに所属)
好きな言葉
人間万事塞翁が馬
好きな食べ物
たこ焼き、アボカド、シフォンケーキ
好きなお酒
ベルギービール、純米酒
たいして飲めませんが好きです。
私が開院した理由
ほんとうにやりたいことはなんだろう
私は、学生時代いくつかのバイトを経験しました。
その中で、漠然と自分にはデスクワークより身体を動かして、人と関わる仕事が向いているんじゃないかな?と感じていました。
大学を卒業して、婦人服の販売の仕事に就き、20代を過ごしました。
”服が好きだから”というのではなく、
”人が好きだから”
”人と接する仕事がしたいから”
接客業を選びました。
ただ、年数が経ち役職が上がると、入ってくる後輩やバイトさんは服が大好きな娘たちばかり。
そんな娘たちと一緒に働きながら、私は”仕事のために”ファッション雑誌を読んだり、他店舗のリサーチをしたり毎月服を買ったり…。
「どうせ勉強するなら本当に自分が好きなことをしたい」
いつしか、自分が本当にしたいことは何か?
を毎日考えるようになっていました。
やっぱり私は人が好き。
ということは間にある物をとってしまえばいいのでは?
どうせ勉強するならこれだ!と思うことを深く勉強して、
一生続けられることがしたい。
ちょうどバーゲンや日々の作業で
(婦人服販売はけっこう力仕事もあるんです)
肩や腰を痛めていたこともあり、マッサージにときどき行っていました。
その治療院で、担当してくださった先生にお話を聞いて、
私にもこういう仕事ができたら…と調べ始めました。
国家資格をとって、マッサージ師になろう。
25歳でそう心に決めて、コツコツ学費を貯め、30歳で
鍼灸・あん摩マッサージ指圧師の専門学校に入学。
再び学生として学び始め、マッサージ師を志しました。
再び学生へ
大学時代と違って、今回の学生生活は大変でした。
学費を自分で捻出しながら、人の身体についての勉強と治療技術の習得も同時進行でしたから。
朝の早朝バイトや、経験を積むための治療院や整骨院でのバイト。
そして、はやく一人前になりたいという気持ちから、指圧の先生の元で学ばせていただいたり、休みの日も学校外の勉強会に参加したり。
休みなくあっという間の3年間が過ぎました。
ほんとうに大変な毎日でしたが、乗り越えられたのは、これが自分のほんとうにやりたいことだ。という確信があったから。
西洋医学、東洋医学を学ぶことで、
「心も身体もつながっている。
他人とも周りの世界とも。」
そんなふうに感じるようになりました。
この世界は一生勉強。人の身体というより、人間そのものを勉強するということの奥深さを感じながら過ごした3年間でした。
資格取得後
鍼灸・あん摩マッサージ指圧師国家資格を取得後、専業主婦や妊娠出産も経験しました。
妊娠から出産、育児とすべてが初めての体験。
ちょうど人の身体のしくみを学んだ後だったので、どの経験も興味深い貴重な体験。毎日が変化の連続で刺激的でした。
日々の家事労働が、けっこうハードなことも体感しました。
育児サークルなどに参加しながら、子育て中のママさん方に出張マッサージをしに行ったりもしていました。
自分も乳児を抱えながらだったので、育児中の悩みや困ったことなどを共有しながら楽しく施術させていただいていました。
その後、京都の外資系ホテルのスパで、マッサージ部門のチーフとして働かせて頂く機会があり、日本人だけでなく、たくさんの人種の方と接しました。
ホテルでの気配り、心配りを学びながら、人種によって骨格や筋肉、マッサージの楽しみ方などが違うんだな、と貴重な経験をさせていただきました。
30代半ば、プライベートでの転換をきっかけに、京都市山科区を中心に訪問マッサージを行う治療院に勤務。
健康な方々と触れ合う機会が多かった私に、ほんとうに痛みを抱え、不自由さを抱えて暮らしておられる方々との出会いは、「治療」というものに対する意識を大きく変えることになりました。
健康で、自分のやりたいことが自由にできる、
私にとって当たり前のように感じていたことが、思うようにできない方々がいらっしゃるという事実。
たとえば脳梗塞の後遺症やパーキンソン症で、手や足を思い通りに動かせなかったり、高齢のための筋力低下で、転倒や骨折をきっかけにひとりで歩くことが困難になったり。
そんな方々にマッサージや、リハビリのお手伝いをしながら、
痛みをとることや症状を改善することはもちろん大切だけれど、年齢を重ねても、元気で自由に活動できるためには、
もっと普段から健康や自分の身体に対する意識を持つことが大事なんではないだろうか?
と考えるようになりました。
自分の身体を通して学ぶ
30代後半の三年間、自分の身体を通して、健康とそして自分自身に入院向き合う大きな年となりました。
37歳夏、仕事でバイクの移動中に、交通事故に遭い足首を脱臼骨折。
4カ月の休業とリハビリを経験。
手術、入院の体験、骨折した足がパンパンにむくんだり、車椅子→松葉杖→杖を使う生活、
足一本使えないというだけで、なんと不便なこと!
リハビリに取り組む毎日は、患者さんの大変さを身をもって体験するいい機会となり、とても勉強になりました。
38歳初夏、検診による、子宮けいがん(0期上皮内がん)の発覚。
2人に1人はがんになると言われている時代、それでもやっぱりまさか自分が…という気持ちでした。
幸い、初期での発見のため、子宮の入り口をくり貫く手術をすることで、治療と検査をしてもらいました。
そして、出た結果は、一部悪性の細胞が出ていて完治を目指すなら子宮を摘出した方が良い、というものでした。
娘がひとりいるものの、女性としてのシンボルともいえる子宮の摘出を決断するには時間がかかりました。
私のところへ産まれてきてくれた娘のために、元気な母であり続けるために
一生続けることができると思える大好きなこの仕事を不安なく続けていくために
39歳初春、開腹による手術を受け、子宮を摘出。
その後、身体の回復を待って、無事に復帰することができました。
3年の間に入院・手術を4回。
患者さんや勤め先の方々にご迷惑をかけたのはもちろん、まだ幼い娘や一緒に暮らす家族にどれほどの負担をかけてしまったことか。
しかしこの期間、家族の大切さとありがたさ、そして周囲の方々の温かさと心に、本当に支えられて乗り越えることができました。
たくさんのことを経験しましたが、このときの経験は、どれをとっても私の貴重な財産です。
ようやく自分の目指す形に
事故や病気を経験することで、
「今、ここにいられることの有難さ」
を以前に増して感じるようになりました。
それは、私自身だけでなく、他の方々に対しても同じです。
私ができることで、関わる方々の夢や人生を応援したい。
ご縁のある方々に、その人らしい活き活きとした毎日を過ごしてほしい。
この伏見区深草は学生時代を過ごし、また子育ての初期を過ごした場所でもあります。
この思い出深い場所で、健康な心と身体を創るお手伝いをしながらご縁を紡いでいけたら…とこの地で開院しました。
そんな変わらぬ思いを抱きながら、「治療院じゅいん」を、私の二人めの子どもとして、ご縁を頂く方々と一緒に大切に育ていこう、と思いながら日々励んでいます。
お読みいただきありがとうございました。